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... 2002 東京国際自転車展(11月22日〜24日 at 東京ビック・サイト) *
| 1.自転車展 Introduction |

今回、エチェオンド(ETXE-ONDO)のブースにあった エウスカルテルのアイマール・スベルディアのポスター。スベルディアが傷だらけの写真。
2001年7月25日、ツール第16ステージで怪我をした時のポスターだと書いてある。でも、この写真を使ったエチェオンドのCMコンセプト理解しがたい。何が言いたいのか?余りにしげしげ眺めていたせいか、日本の代理店、J.I.Corporationの方がそばに来て説明して下さった。(4年後、それが石黒誠司さんだと判明。)
まず、彼の傷は正真正銘のツールの際の落車の傷。でも、写真はその1週間後に撮ったので、血などはあたかも今流れているように、血糊で細工したそうだ。しかも、後ろにいるチームドクター風の人は、チームのマッサーか何か、適当なスタッフをあてがったという話。
そして、気になるCMコンセプトは?説明によると、。ウエアが落車にも強くて丈夫というのをアピールするのではなく、エチェオンドのウエアの皮膚への一体感を強調したものだという。
ポスター標語は、Nos dejamos la piel (皮膚は剥がれる。)。よく見ると、レーパンが破れて皮膚がすりむけていたりする。つまり、皮膚と一体になってすりむける、といった皮膚への密着性を強調しているようだ。それにしても、少々、荒っぽいこの写真だけど、バスクの男たちにぴったりと言えなくもない。
スベルディアは、ビシクレタバスク2000で優勝した時、自宅のキッチンで、クッキーとトルティーヤ(スペイン風オムレツ)でお祝いしたという、あの控えめな選手だ。それにしても、ツールドラヴニール99でも、ツールマレの下りで落車し、怪我のイメージがある彼だが、こんな怪我のポスターに起用されるとは。
右のスベルディアの写真は、2001年7月18日に撮影したもの。つまり、怪我をする丁度1週間前のことだ。ちなみに、ブール内で上記ポスターの隣にあったポスター(男性が、ぴたっとしたウエアを着てバイクと共に、高層マンションから夜景を眺めている分)もある。こちらのコンセプトは、「ウエアは、ライダーの努力や夢の一部なんだ」、といった内容。
| 2.東京国際自転車展 |
![]() | コルナゴ: 左のラルカンシェルのフレーム(Carbon, Star Carbon Fork, C40HP B-STAY)は、フレイレの世界選手権の際に作製されたものだが、今後も、オーダーすることが可能。但し、フレイレ用にはフォークにもラルカンシェルがついていたが、今後のオーダー品については、フォークに関しては通常のものとなる。 右のフレーム、(Dream Plus Alloy、Flash Carbon Fork)は地図が描かれているが、どこの地図なのだろう?実は、この地図は、マルコポーロの時代、つまり昔の大航海時代の古い世界地図をイメージして描かれたものらしい。 | |
![]() | 今年もコルナゴ for フェラーリ: フェラーリと共同開発シタモノコックフレームを使用した限定750台(或いは700台)の黄色いモデルが陳列されていた。 その隣には、写真の赤いコルナゴ for フェラーリ(138万円)があった。限定台数はマジックで消してあった。拡大写真が右。トップチューブに、レースカーが描かれている。 | |
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会場にはエルネスト・コルナゴ社長の姿が フォンドリエスト:
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ブースには、ミヤタ工業のバイクが飾った数々の栄光が書かれていたが、女子プロ選手の活躍が目を引く。シドニーでは、ロード、TT、トラックなどで金メダルをとった。ドモファームフリッツ時代のマキュアンの活躍も、メーカーにとっては誇りだ。2年前までは、バックにはカーボンを使用していたものの、去年・今年とフル・スカンジウムを全面に押し出し、今回、フル・カーボンのスローピングのものもお目見えしている。
インターマックス: 今年は全体的にデコレーションがトーンダウンしている中、(2000年のスペシャライズドのフレーム天井吊りなど、洒落た演出は今年はなかった)、インターマックスのブースは華やかな雰囲気。カーボンフレームが美しい「クォータ」の陳列も目を引いた。手広くビジネス展開している様が窺われる。

スペシャライズド:
チッポリーニがジロで使用したあの豹柄バイクがあった。サドルに驚く。サドルも、虎の毛皮もどきに毛羽立っている。あんなフカフカなサドルでTTを走ったのだろうか?
シマノ:
PD7750(SPD-SLペダル)は、アームストロングがプロトタイプ(開発品として作製されたもの)を使用。あちこちで、彼自身 使い心地のよさを宣伝しているのを耳にする。今や販売品として(標準小売価格2万円)手に入るようになった。
ブリジストンアンカー:
● とにかく現役時代から既に選手としてでなく、選手育成としてやっていくことをめざした
● 21歳で初めて海外へ行き、22歳でプロ契約、現地フランスでプロ契約したのが24歳。
● でも、その数年後には、既に自分が走るよりも、走らせる方が向いているのではないか、と考えた。
● そうふと思い当たったのは、93年のこと。場所は、ベルギーのマクドナルドで。
● 96年に引退して、既にその前から育成の仕事にも関わっていたが、育成という仕事も、重労働で、若くないとなかなかできない仕事だ。
浅田監督の未知の一面を知ることができた。
サイン会には大勢集まった。スター選手が多いチームだという印象。今年を限りに現役を引退する岡田選手(写真右から2番目)の姿も。来年以降も、そのままブリジストンアンカーでの勤めを続けることになるそうだ。ブースの方では、フレームのカラーオーダー用の色見本が整然と美しく並べられていた。
浅田監督トークショーの内容: